2024年度 第1回公開講演会「奇跡の街 みなとみらい -50年先を展望したまちづくり」を開催しました。

新しいキャンパスに移転して3年。予断を許さぬ激しい変化をしつづける世界の動きに目を光らせつつも、日々の学校生活を送るみなとみらいという地域の成り立ちについて理解を深めたいと思っている。
そこで国経研では、南学氏を招き「奇跡の街 みなとみらい—50年先を展望したまちづくり―」という演題のもと、私たちのキャンパスの立地するみなとみらい地区の歴史についてお話いただいた。

南氏は横浜市役所在職中に米国に留学派遣され自治体の経営管理を学び、専門知識をもって市政に尽力した。
その後、静岡文化芸術大学、横浜市立大学、神奈川大学などで教鞭を取り、現在は東洋大学PPP(官民パートナーシップ)研究センター客員研究員を務める。
『行政経営革命』『改革エンジンフル稼働』『横浜交流と発展の町ガイド』などの著書がある。

戦後の横浜市は、連合国占領軍による土地接収の影響で都市機能の復興が遅れ、つづく経済成長期には、東京への通勤通学者人口の急激な増加により、住民インフラを担う市財政がひっ迫した。
この困難な状況を打開するために、田村明氏のプロデュースにより民間資本を活用した画期的な開発計画が立てられた。
この時期の横浜市六大事業の一つが関内と横浜駅を一体化する都心部強化事業であった。
三菱造船所を港外の中区錦町に移転させ跡地を再開発する。
すでにコンテナ時代となり、インナーハーバーは物流拠点機能を失い、むしろ居住空間や商業地区に魅力を与える審美的・心理的機能を帯びていた。
しかし、順風満帆に船出したかにみえた理想の街みなとみらいの計画は、バブル経済崩壊ほかの予期せぬ事態により苦戦を強いられる。
整備の済んだ事業用地の売却が滞るなかで、状況を好転させたのは、羽田空港の国際化と日産自動車本社の移転であった。
こうして居住施設と商業施設が共存し、景観にも優れたみなとみらいという街が現出することになったという。

国際経営学部は、グローバルに思考しローカルに行動するというモットーを掲げている。南氏のお話は、わたしたちの足元の歴史を掘り返す試みであり、これを傾聴した学生および研究所所員にとって大きな刺激となり、今後の研鑽に生かされると思う。

イベント詳細

2024年度 第1回公開講演会「奇跡の街 みなとみらい -50年先を展望したまちづくり」イメージ1 2024年度 第1回公開講演会「奇跡の街 みなとみらい -50年先を展望したまちづくり」イメージ2

講師

南 学  氏

日時

2024年9月21日(土)13:30-15:00

会場

神奈川大学 みなとみらいキャンパス4階 米田吉盛記念講堂

テーマ

奇跡の街 みなとみらい -50年先を展望したまちづくり

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